1月7日 登山6日目 最終日
最終アタックの疲れからか、熟睡。
この日は最終日。
Mwekaキャンプからゲートへ約15 km。そしてMoshiの街へ。
朝8時キャンプを出発。
(なぜかこの日だけ出発時間が予定通り。)
午前11時半、ゲートに到着。
ここで5泊6日のキリマンジャロ登山が終わった。
そしてMoshiの街へ。
最後に登頂証明書を頂き、今回お世話になったガイドやコックさん、ポーター達と記念撮影。
色々なハプニングがあったけど、楽しい登山だった。
そして登山後の食事とキリマンジャロビールは最高だった。
日本に帰ったら、次はどこの山に登ろうかな??
Iringa
2013年1月28日月曜日
キリマンジャロ ⑤
1月6日 登山5日目 最終アタック
最終アタックは、午前0時から。
仮眠を取り、日付が変わる前、午後11時に起床。準備をし、軽食を摂り出発。
実は登山3日目のキャンプ地(Barranco Camp、3,840 m)から、2人用テントに3人で寝ていた。
我々のパーテイーは5人。
テントは2人用なので、5人中誰か1人は一人で寝なければならない。
でも2日目のキャンプで寒すぎて、一人では良く寝ることができなかった。
そこで次の日から、2人と3人に分かれて寝ることにした。
最終アタック前のベースキャンプ地の標高は4,600 m。
かなり酸素は薄い。すぐ息が切れる。
2人用のテントで3人で寝ていた我々は、仮眠から目覚め起き上がると体に異変を感じていた。体がだるく、頭が痛い。
テント内の空気は相当薄くなっていたらしい。
これまで軽い頭痛は少しあったものの、深呼吸をすれば大抵収まっていた。
でも今回の体のダルさ、頭痛はなかなか取れない。
軽食も喉を通らなかった。
そして下痢。
(ちなみに下痢は初日から。恐らく高山病予防薬の副作用)
体調最悪の僕は、ガイドに下痢止めと頭痛薬をもらいなんとか出発。
体調は最悪だったが、天気は最高だった。
星空は美しく、街の夜景も綺麗。
多くの最終アタック登山客が一列に照らす灯りもなんとも不思議な光景。
一歩々々、ゆっくりと歩く。
でも標高が高くなるにつれて、キツくなってくる。
ガイドにも無理をせず下山するかと聞かれたが、なんとしてでも登頂したかった。
一応血中酸素濃度を測ってみる。
標高4,800 m付近での平均値は79%位らしいが、自分は85%もあった。
全然悪くない。この体調の悪さは気のせいではないかと思っていたら体も軽くなってきた。
そしてチョコレートでエネルギー補給をしたら復活。
予定よりも大分遅れてしまっが午前7時半頃、標高5,739 mのStella Pointに到着。
ここまで来れば登頂証明書は貰えるが、
標高5,895 mのUhuru Peakまでなんとしてでも行きたかった。
ここStella PointからUhuru Peakは近そうに見えるのだが意外と遠い。
さらに1時間半近く歩いた。
途中エネルギー切れでヘトヘトになりながらも8時半になんとか全員Uhuru Peakに到着。
全員揃ってキリマンジャロ山登頂成功!!
少し余韻に浸っていたかったが、すぐに下山開始。
ベースキャンプに引き返します。
午後1時頃、ベースキャンプに到着。
昼食休憩をとり、
・・・・・もっと休んでいたかったけど標高3,100 mのMwekaキャンプまで一気に下山。
午後6時 Mwekaキャンプ到着。
この日は昼食休憩を除いて、約16時間、約30 km歩き続けた。
続く
最終アタックは、午前0時から。
仮眠を取り、日付が変わる前、午後11時に起床。準備をし、軽食を摂り出発。
実は登山3日目のキャンプ地(Barranco Camp、3,840 m)から、2人用テントに3人で寝ていた。
我々のパーテイーは5人。
テントは2人用なので、5人中誰か1人は一人で寝なければならない。
でも2日目のキャンプで寒すぎて、一人では良く寝ることができなかった。
そこで次の日から、2人と3人に分かれて寝ることにした。
最終アタック前のベースキャンプ地の標高は4,600 m。
かなり酸素は薄い。すぐ息が切れる。
2人用のテントで3人で寝ていた我々は、仮眠から目覚め起き上がると体に異変を感じていた。体がだるく、頭が痛い。
テント内の空気は相当薄くなっていたらしい。
これまで軽い頭痛は少しあったものの、深呼吸をすれば大抵収まっていた。
でも今回の体のダルさ、頭痛はなかなか取れない。
軽食も喉を通らなかった。
そして下痢。
(ちなみに下痢は初日から。恐らく高山病予防薬の副作用)
体調最悪の僕は、ガイドに下痢止めと頭痛薬をもらいなんとか出発。
体調は最悪だったが、天気は最高だった。
星空は美しく、街の夜景も綺麗。
多くの最終アタック登山客が一列に照らす灯りもなんとも不思議な光景。
一歩々々、ゆっくりと歩く。
でも標高が高くなるにつれて、キツくなってくる。
ガイドにも無理をせず下山するかと聞かれたが、なんとしてでも登頂したかった。
一応血中酸素濃度を測ってみる。
標高4,800 m付近での平均値は79%位らしいが、自分は85%もあった。
全然悪くない。この体調の悪さは気のせいではないかと思っていたら体も軽くなってきた。
そしてチョコレートでエネルギー補給をしたら復活。
高山病から復活 |
予定よりも大分遅れてしまっが午前7時半頃、標高5,739 mのStella Pointに到着。
ここまで来れば登頂証明書は貰えるが、
標高5,895 mのUhuru Peakまでなんとしてでも行きたかった。
ここStella PointからUhuru Peakは近そうに見えるのだが意外と遠い。
さらに1時間半近く歩いた。
途中エネルギー切れでヘトヘトになりながらも8時半になんとか全員Uhuru Peakに到着。
全員揃ってキリマンジャロ山登頂成功!!
少し余韻に浸っていたかったが、すぐに下山開始。
ベースキャンプに引き返します。
午後1時頃、ベースキャンプに到着。
昼食休憩をとり、
・・・・・もっと休んでいたかったけど標高3,100 mのMwekaキャンプまで一気に下山。
午後6時 Mwekaキャンプ到着。
この日は昼食休憩を除いて、約16時間、約30 km歩き続けた。
続く
2013年1月25日金曜日
キリマンジャロ ④
1月5日 登山4日目
この日は標高3,860 mのBarrancoキャンプから、4,600 mのベースキャンプ地となるBarafuキャンプを目指す約13 kmのコース。
この日の朝も快晴。
この日は、一気に登ったり、
一気に下ったり、
そしてまた登ったり、下ったりを繰り返し、昼過ぎにKARANGA HUTに到着。
大分登った気でいたけど、標高はまだ3,930 m。まだ約600 m登ります。
ここで昼食休憩。この日はテントの中での昼食。
テントに入ってから昼食まで時間が空いてしまい、皆うとうと。
昼食を食べ終え、・・・まだ寝ていたかったけど気持ちを切り替えて出発。
午後4時半、標高4,600 mのベースキャンプ地、Barafuキャンプに到着。
到着後は、荷物をまとめ、夕食を摂り、最終アタックに向けたブリーフィング。
そして仮眠。この仮眠が思いもよらぬ悲劇を生むことになるとは・・・・
続く
この日は標高3,860 mのBarrancoキャンプから、4,600 mのベースキャンプ地となるBarafuキャンプを目指す約13 kmのコース。
この日の朝も快晴。
この日は、一気に登ったり、
一気に下ったり、
そしてまた登ったり、下ったりを繰り返し、昼過ぎにKARANGA HUTに到着。
大分登った気でいたけど、標高はまだ3,930 m。まだ約600 m登ります。
ここで昼食休憩。この日はテントの中での昼食。
テントに入ってから昼食まで時間が空いてしまい、皆うとうと。
昼食を食べ終え、・・・まだ寝ていたかったけど気持ちを切り替えて出発。
午後4時半、標高4,600 mのベースキャンプ地、Barafuキャンプに到着。
到着後は、荷物をまとめ、夕食を摂り、最終アタックに向けたブリーフィング。
そして仮眠。この仮眠が思いもよらぬ悲劇を生むことになるとは・・・・
続く
キリマンジャロ③
1月4日 登山3日目
この日は、3,840 mのShiraキャンプから4,630 mのLavaタワーと言う場所を通り、3,840 mのBarrancoキャンプを目指す約15 kmのコース。
朝起きると、青空が広がっていた。
朝食は毎日パンとオムレツ、ソーセージ、そしてこの写真のウジ。
ウジはトウモロコシの粉をお湯で溶いたもの。このウジには、他にも色々な穀物が入っている。
タンザニアに1年半住んでいて、このウジを食べたのは、実は今回が初めてだった。
名前はイマイチだけど、砂糖を入れて甘くすると結構イケル。
午前9時頃出発。この日も出発が遅れた。
歩くに連れ高山植物もだんだん姿を消し、岩だらけに。
そして雪もチラホラ見えるようになってきた。
雨は降ってないとはいえ、少し休憩すると体がすぐに冷える。流石に寒い。
途中のお弁当は美味しかったが、あまり休憩時間を長くすると体が冷え切るのでサッと食べまた出発。
午後1時過ぎには、標高4,630 mのLavaタワーに到着。
ここまでは特に高山病の症状は一切なかった。
ここから標高3,860 mのキャンプ地まで、一気に下っていく。
やはり上りより下りがキツイ。
そして3時すぎにはキャンプ地に到着。
テントで休憩していたら、いつの間にか少し寝ていた。
この日の夕食は、パスタと豚肉。
いつものように午後9時頃には就寝。
続く
この日は、3,840 mのShiraキャンプから4,630 mのLavaタワーと言う場所を通り、3,840 mのBarrancoキャンプを目指す約15 kmのコース。
朝起きると、青空が広がっていた。
朝食は毎日パンとオムレツ、ソーセージ、そしてこの写真のウジ。
ウジはトウモロコシの粉をお湯で溶いたもの。このウジには、他にも色々な穀物が入っている。
タンザニアに1年半住んでいて、このウジを食べたのは、実は今回が初めてだった。
名前はイマイチだけど、砂糖を入れて甘くすると結構イケル。
午前9時頃出発。この日も出発が遅れた。
歩くに連れ高山植物もだんだん姿を消し、岩だらけに。
そして雪もチラホラ見えるようになってきた。
雨は降ってないとはいえ、少し休憩すると体がすぐに冷える。流石に寒い。
途中のお弁当は美味しかったが、あまり休憩時間を長くすると体が冷え切るのでサッと食べまた出発。
午後1時過ぎには、標高4,630 mのLavaタワーに到着。
ここまでは特に高山病の症状は一切なかった。
ここから標高3,860 mのキャンプ地まで、一気に下っていく。
やはり上りより下りがキツイ。
そして3時すぎにはキャンプ地に到着。
テントで休憩していたら、いつの間にか少し寝ていた。
この日の夕食は、パスタと豚肉。
いつものように午後9時頃には就寝。
続く
キリマンジャロ ②
1月3日 登山2日目
夜中も降り続いた雨は、朝には止んでいた。
でも相変わらず雲は厚く、今にも雨が降りだしそうだった。
一日目は約18 kmを歩いたが、この日はその半分の9 km。
3,000 mのMachameキャンプから3,840 mのShiraキャンプを目指します。
朝6時45分起床。7時半から朝食で8時出発。
の予定が大幅に遅れ9時頃にキャンプを出発した。
この日は結構急な斜面のコースだった。
歩き始めてから1時間くらいしたら、案の定雨が降り出してきた。
しかも結構激しい。
歩くに連れ移り変わる景色はとても素晴らしかったが、この日も雨のためカメラを出すことができなかった。
水分補給+チョコレート補給以外は歩き続け、午後2時過ぎにはキャンプに到着。
しかし激しい雨のため、ポーター達もキャンプ地への到着が遅れ、昼食にありつけたのは午後4時頃だった。
昼食を食べ終わり、テントから出ると雨も上がっていた。
雲の隙間から太陽の光が射し込み、幻想的な景色。
この写真では確認できないが、タンザニアで2番目に高いメルー山も見ることができた。
夕食まではトランプで時間を潰し、・・・・
待ちに待ったその日の夕食は、チキンカレー。うまい
夕食後は、次の日の為のブリーフィングと、血中酸素濃度の検査。
そして、9時過ぎには就寝。
続く
夜中も降り続いた雨は、朝には止んでいた。
でも相変わらず雲は厚く、今にも雨が降りだしそうだった。
一日目は約18 kmを歩いたが、この日はその半分の9 km。
3,000 mのMachameキャンプから3,840 mのShiraキャンプを目指します。
朝6時45分起床。7時半から朝食で8時出発。
の予定が大幅に遅れ9時頃にキャンプを出発した。
この日は結構急な斜面のコースだった。
歩き始めてから1時間くらいしたら、案の定雨が降り出してきた。
しかも結構激しい。
歩くに連れ移り変わる景色はとても素晴らしかったが、この日も雨のためカメラを出すことができなかった。
水分補給+チョコレート補給以外は歩き続け、午後2時過ぎにはキャンプに到着。
しかし激しい雨のため、ポーター達もキャンプ地への到着が遅れ、昼食にありつけたのは午後4時頃だった。
昼食を食べ終わり、テントから出ると雨も上がっていた。
雲の隙間から太陽の光が射し込み、幻想的な景色。
この写真では確認できないが、タンザニアで2番目に高いメルー山も見ることができた。
夕食まではトランプで時間を潰し、・・・・
待ちに待ったその日の夕食は、チキンカレー。うまい
夕食後は、次の日の為のブリーフィングと、血中酸素濃度の検査。
そして、9時過ぎには就寝。
続く
2013年1月24日木曜日
キリマンジャロ登山 ①
早いもので、1月もあと1週間で終わってしまう。
ここで1月2日から行ってきた、キリマンジャロ山登山を振り返ってみようと思う。
1月1日
この日は、朝から旅行会社で支払いを行ったり、登山用品を借りたりと何かと忙しかった。
1月2日
朝9時に旅行会社の手配した車に乗り込み、いざ出発。
今回は数ある登山ルートの中から、マチャメというルートを選んだ。
このマチャメゲートまではモシから小1時間。
ゲートに着くと、登山の受付を行い・・・・
いざ出発!!と思ったけど、その他色々手続きがあるらしく、ゲートで待機。
午前11時頃にやっと出発。
登山客の荷物を運ぶポーターさん達。 一人20kgもの荷物を担いで登っていきます。 |
この日は、朝からどんよりとした雲が空を覆っていた。
案の定、歩き始めて数分後に雨。
せっかくカメラを持ってきたけど、雨の為殆ど撮影出来ませんでした。残念
途中お弁当を食べたり、水分補給をしたり以外は黙々と歩き、午後5時頃に標高3,000 mのキャンプ地に到着。
ひとまずチャイで休憩。
そしてお待ちかねの夕食。コックさんの美味しい手料理で疲労も回復。
夜10時頃には、寝袋に入り就寝。
続く
2013年1月22日火曜日
国家試験
タンザニアの中等学校O-レベル(日本でいう中学校)、2年生と4年生は国家試験を受ける必要がある。
4年生は、この国家試験の成績次第で、A-レベル(高校)に進学できるか、そうでないかが決まる。
また、この試験でF(不合格)を取ってしまうと、O-レベルの卒業資格さえもらえない。
また、この試験でF(不合格)を取ってしまうと、O-レベルの卒業資格さえもらえない。
2年生はと言うと、これまではFをとっても3年生に進級ができた。
がしかし、昨年の2年生、現3年生から、Fを取ってしまうと3年生に進級できなくなってしまった。
その結果が昨日でた。もう新学期始まっちゃっていますが。
当時の2年生は126人。うち118名が受験して、97名が合格した。
僕の予想よりは、良かったので一安心(?)。
受験しなかった子、合格しなかった子は、3年生に進級できない。
これから彼らはどうするのだろうか。
当時の2年生は126人。うち118名が受験して、97名が合格した。
僕の予想よりは、良かったので一安心(?)。
受験しなかった子、合格しなかった子は、3年生に進級できない。
これから彼らはどうするのだろうか。
2013年1月21日月曜日
2013年1月18日金曜日
Nimeshituka
なかなか物事がうまく進まないのがタンザニア。
1月16日。今年初の出勤。
配属先の学校にグラウンド予定地はあれど、グラウンドはない。
配属先の校長が「12月にはグラウンドを作る」と言っていたので、立派なグラウンドが完成しているはずと少し期待して学校に行くと、そこは畑になっていた・・・
トウモロコシ畑に・・・・
びっくりした。まさか畑になっているとは。
しかも地域住民が無断で学校の土地を使用している。
これで自分の任期中にグラウンドが完成することはなくなった。
Pole~
1月16日。今年初の出勤。
配属先の学校にグラウンド予定地はあれど、グラウンドはない。
配属先の校長が「12月にはグラウンドを作る」と言っていたので、立派なグラウンドが完成しているはずと少し期待して学校に行くと、そこは畑になっていた・・・
トウモロコシ畑に・・・・
びっくりした。まさか畑になっているとは。
しかも地域住民が無断で学校の土地を使用している。
これで自分の任期中にグラウンドが完成することはなくなった。
Pole~
2013年1月16日水曜日
ただいま
遅ればせながら、明けましておめでとうございます。
この一ヶ月間は、ザンジバルのリゾート地でゆっくりしたり、アフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ山へ登山に出かけたりと楽しい休暇でした。
キリマンジャロ登山については、後ほど詳しく書こうかと思います。
さて、任地に戻ってくると、ある異変が。
それは・・・野菜が売っていない。
イルラと言えばトマト、トマトと言えばイルラと言われるぐらいなのに、まともなトマトすら手に入らない。
昨年もそうだったように、雨季の初め頃は野菜が手に入りづらい。
簡単に手に入る食材といえば、マハラゲ(豆)ぐらい。
一瞬これから当分の間の献立は、ワリ(ご飯)&マハラゲ(豆)かと脳裏を横切った・・・
がなんとかキャベツ、ピーマン、玉ねぎをGet!!
街に買い出しに行かなくても、なんとかなりそうです。
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