Iringa

Iringa
イルラ

2011年11月25日金曜日

鳳凰木
















家の前のホウオウボクが満開です。

明日から1か月の旅に出かけてきます。

2011年11月19日土曜日

3か月

気が付くと本赴任してから3か月が経っていた。
そして今日から長期休暇。

本赴任してから最初の2週間は授業を持ってなかったので本当に暇だった。
それでも時間通りに出勤して最後まで残っていた。他の先生たちが少しでも何かを感じてくれたらいいなと思って。

本赴任してから2週間後、数学(Form Ⅰ)の授業を持つことになった。

この頃から授業のない時間以外は、授業準備かスワヒリ語の勉強。
「さとしはいつも静かだな。何やってるんだ?」
いつも他の先生からこう聞かれる。

職員室に教師用の机はあるが、チャイ(お茶)の時以外あまり使われることがない。
職員室に自分しかいないってこともしょっちゅうある。
学校にいる授業のない先生は、外に椅子を持ち出してお喋り。

基本的に先生は授業がないと学校に来ないし、授業が終わったら家に帰ってしまう。
それでも自分のスタンスは変えなかった。

朝7時出勤と出勤時間は早いけど午後3時には家に帰る。
それでもなぜかくたくたになる。
お腹がすいているのもあると思うけど。
(うちの学校には給食がない。生徒たちは腹ペコ。10時くらいにチャイの時間があり、先生たちはそこで軽食を取る。けど12時くらいになるとお腹がすく)

毎日目にする体罰。
木の棒を振り回す先生たち。
生徒たちはまるで奴隷のよう。
「水が欲しいから買ってこい。」「携帯のプリペードカード買ってこい。」

先生達と体罰について色々話したけど、なかなか思いは伝わらない。

援助について色々言われる。
校舎を建てたいからお金を出して、PC買ってくれ。


この3か月間、途上国を援助するということを色々考えた。

日本に居るころは、途上国を援助することに疑問を感じなかった。
それが当たり前だと思っていた。

「お金を出してくれ。」「なんでもっとお金をくれないのか。」

そんな言葉をよく聞く今となっては、援助がその国の人々の為になっているのか疑問。
ただ援助に甘えているだけで、援助することがその国の発展を逆に妨げているんじゃないか。

「この国を変えたい。」って聞くけど本当は違う。
この国を変えて欲しいんでしょ??って感じる。

自分がやっていることが本当に意味があるのか、何にもならないんじゃないかと思う日々。

でも自分の為に。

色々な国がタンザニア(途上国)を支援しているが、援助方法を変える必要があると感じた3か月でした。
じゃあどのように変えるか。正直それはわからないけど。

2011年11月16日水曜日

学年末試験

長期休暇は本来12月2日からでしたが、なぜか学年末試験の日程が早まり来週から休みになりました。1月5日まで休暇です。嬉しい反面こんなんでいいのか疑問です・・・・

今回はForm Ⅰ(日本の中1か中2くらい)の数学の試験問題を作成しました。

結果から言うと平均点は約20点。100点中・・・・

初めて試験問題を作ったので、私の作った試験問題にも問題があり反省なのですが。

今回採点をしていて一番困ったのが、生徒の字が汚いこと。生徒の名前さえ読めないことも。

簡単な計算も出来ない生徒が大半なのにも改めてびっくりしました。

特に-(マイナス)が入るとダメ!!
ほぼ全員-5-2を間違えていました。

そして一番出来の悪かったのは角度を求める問題でした。














上記の三角形の内角の角度を求める問題があったとしましょう。
ここで問題!!それぞれの内角の角度は何度でしょうか??

当然これだけでは分度器を用いなければこの問題は解けません。

ですがある程度の目途はつくはずです。だいたい90°とか60°とか。

せめて90°より大きいかそうでないかは・・・・

多くの生徒は答えが60°の所を、140°とか平気で書いています。

観察力がないのか、そもそも角度が解っていないのか・・・

今回の試験で多くの問題点がわかった(はず)ので、今後の活動に生かせるのかなと思っています。

雨季到来

イリンガにも雨の季節が巡ってきたらいい。

でも日本の梅雨と違ってイリンガはジメジメしていなくて過ごしやすいし、一気に降ってすぐやむ感じです。















イリンガは乾燥していて緑が少ないので、これからの季節緑が多くなるのが楽しみです。

しかし一つ気になる事が・・・窓枠から雨水が侵入してくる。

とりあえず雑巾を置いて対処しているけど、長期自宅を離れる時が心配です。
















2011年11月5日土曜日

生徒の字が汚すぎて思うように学年末試験の採点が進まない・・・

ずっと気分転換してるんだけど、気分転換にブログでも書こうかな。
(テストについては後日ブログアップします。)
今日は最も重要な水について!

タンザニアに限らず途上国では、水が汚い!!たとえ水道水であっても。

見た目はきれいでも、そのまま飲むことは出来ない。
(現地の人々慣れてるからそのまま飲んでる。僕がそのまま飲むと下痢とかになってしまうと思う。)

そこで、JICAから支給された濾過器を使っている。























この濾過器で水を濾過して、煮沸して飲み水としている。

そしてこの濾過器は定期的に掃除をしなければならない。















これが水を濾過する部分。

最初は真っ白だったのにこんな状態になってしまった。

この写真から水がどれだけ汚いか想像できるはず!!おそろしい~

ちなみにタンザニアではよく断水するので、こんなでっかいバケツ(150L)に水を貯めている。















イリンガ地方はまだ良い方。海岸沿いのムトワラとかは本当に水が出ないらしい。

ムトワラの同期は3個くらい持っているとか・・・

2011年11月2日水曜日

我慢ならない

授業中に他のクラスの生徒がやってきて、授業中の僕のクラスの生徒を呼び出すことがある。

「○○先生が呼んでいる、職員室に行け」と。

本当は授業中だし行かせるのはどうかと思う、だいたい授業中に緊急でもないのに生徒を呼び出すのはどうかと思うけど、僕がその生徒を行かせない為にその生徒が怒られたら可愛そうなので容認していた。
また、職員室に居て授業に遅れるケースもある。

そして今日、ある一人の生徒が授業に10分以上遅刻してきた。

彼に理由を来たところ、携帯電話のプリペイドカードを買いに行っていたとのこと。
(タンザニアの携帯電話はプリペイド式なのです)
しかもほかの先生に買いに行けと言われたとのこと。

正直今回は我慢できなかった。

授業後その先生に事実確認をし、これはダメだということを伝えた。

何か欲しければ自分で買いに行け!!
仕事の後でも買いに行けるだろ!!

タンザニア教育現場の実情(私的意見・感想など)
・授業が第一ではない。
 (急きょ職員会議が始まり授業が潰れる)
・先生は神様です。
 (あれ買ってこいとかすぐ近くにある物でも、あれとれとか。自分で取れ!!!)
・授業なければ仕事(学校)に行かなくていい。授業が終われば帰っていい。
 (給料低いとか言ってるけど、実働時間考えれば高いと思う。)

今日の事は本当に我慢ならなかった。


2011年10月29日土曜日

討論会

10月29日(土)


今日はイルラ地区にある中等学校の生徒がイルラ中等学校に集まって討論会をするとの事なので見に行った。
















会場に着くとなぜか大音量のボンゴフレーバー(スワヒリ語のヒップホップ)が!!

そしてなぜかDJが!!そしてなぜかうちの学校の先生がMCをしている!!

討論会ではなかったのか・・・

そしてやっと始まったかと思ったらなぜが劇が始まり・・・

劇が終わり討論会が始まるかと思ったらダンスが始まり・・・

討論会が始まるまでに疲れてしまった。













討論会のほうは当然すべてスワヒリ語で意味わからなかったし、討論会っていう雰囲気じゃなかったので早めに退散した。

疲れたしお腹すいたからね~

今日のお昼は配属先の校長宅で頂きました!!

2011年10月28日金曜日

トカゲ

警戒心が強く、写真を撮らせてくれなかったがやっと撮影に成功した。























写真じゃわかりずらいけど、これで20cmはある。

家の周りには最大30cmくらいのトカゲがうろちょろしている。

僕の家にゴ○○リがでないのは、こいつらのおかげではないかと思っている。
(ゴ○○リがいたとしても、すごく弱っている。ほぼ瀕死)

なので虫嫌いなY先輩でも僕の家は大丈夫なはず!!




ダル・エス・サラームでは死んではいたが60cmくらいのトカゲを見た。
(たぶん車に轢かれたのだろう。)

2011年10月25日火曜日

悲しい出来事

昨日配属先の学校の生徒が亡くなった。

FormⅢの女の子で死因はよくわからないらしい。まだ若いのに・・・

イルラに赴任してから何回お葬式を目撃したことか。

タンザニアでは、特に村では医療レベルは決して高くない。

私の場合もし病気になったらイリンガの町のアガ・カーン病院に行くか、

ダル・エス・サラームの病院に行くかどちらかになる。村の病院には決して行かない。




タンザニアの平均寿命は56.9歳。

都市部や町では平均寿命は伸びているらしいが、村では相変わらず低いのだろうと思う。

同じイリンガ州でも村と町では格差は大きい。町と村ではまず家が違う。

私の住んでいる村では、周りはほとんどが土壁の家で藁葺きの家もある。













分かりずらい写真で申し訳ない・・・




そしてタンザニアではどこに行っても、物乞いをしている人達を見かける。

日本では格差社会とか言われているけど、タンザニアと比べたら格差なんて無いに等しいと思う。

2011年10月24日月曜日

本棚

以前から頼んでいた本棚がやっと完成した。

埃が入らないようにガラスまで付けるといういい仕事をするのに、仕事が半端なく遅い。























本でごっちゃになっていた机の上もようやく片付きました。
















そしてタイミングよく韓国語の本が日本から届いた。勉強頑張ろう!!

韓国語の前にスワヒリ語だろ!!と突っ込みたくなりますが・・・

スワヒリ語も勉強しますよ!!


誕生日

25歳の誕生日をタンザニアで迎えたその日、

イリンガの同期隊員のおうちでパーティーを開いてもらった。

豚汁やらから揚げやら色々作ってくれた。僕が以前から食べたいと漏らしていた親子丼まで。

そしてプレゼントまで頂いた。

















みんな本当にありがとう!!


2011年10月12日水曜日

食生活

大阪の訓練所、ダルでの語学訓練生活では順調に体重増加していた僕ですが

任地イルラに本赴任してから6Kgも痩せてしまいました。

原因は食生活。私の自宅では水が出ないため、食器類を洗うのが非常に大変。

食器を洗うのが大変だからご飯を作るのがめんどくさい。

学校が終わって3時くらいにローカルレストランに行って昼食食べてその日のごはん終了!!

そんな生活のせいか痩せたというよりやつれたと先輩隊員、同期からも心配されました。

協力隊は健康が第一なので、これからは食生活に気を付けようと思います。

最近を豆をカレーで煮てみたり、実家から送ってみらった味噌で味噌汁作ったり、

それなりにバランス考えてご飯を作っています。

これからは色々工夫して、おいしいのが出来たらブログでも公開しようと思います。




2011年10月11日火曜日

Desuki na Kiti

フンディ(技術者とかって意味)に頼んでいた机と椅子が完成した。

そうとう値切ったせいかやる気がなかったらしく・・・・仕事は非常に遅かった。

あと本棚を頼んでるけどいつ出来る事やら。明日とは言っていたけど本当かは疑問です。
















今回机と椅子と本棚をオーダーして10万Tshでした!!

これでやっと仕事に集中できる・・・・はず!!

2011年10月9日日曜日

サファリ~ムワンザ~ドドマ~イリンガ

サファリ6日目は再びドドマへ移動。

ドドマで一泊。また先輩隊員にお世話になりました。

M先輩の手料理おいしかったです。御馳走様でした。

最終日もバス移動。イルラへ!!

そのバスで隣に座っていた女の子の様子が明らかにおかしかった。

俺がうとうとしていると足に何やら液体が・・・

バスに酔っていたらしい。思いっきり俺の足に嘔吐物を・・・・・

まぁハプニングに見舞われながらも無事イルラの自宅に帰宅しました。



メモ

~ドドマームワンザ間のバスについて~

往路はALLY'S BUSを使用。
30,000Tsh。シートは2列と通路挟んで3列。
シートは狭く背もたれにはほぼクッションが入っていないため背中が痛かった。
ドドマ7時発-ムワンザ17時着。

復路はBUNDA EXPRESSを使用。
32,000Tsh。シートは2列と通路挟んで2列。
シートは広く快適。
ムワンザ6時半発-ドドマ16時半着。


~ムワンザのバススタンドについて~

Nyegezi bus standとNykato bus standがある。

Nyegeziはムワンザの町から南へ約10Kmの所にある。
ダラダラだと30分くらい。
ドドマ、シンヤンガ方面のバスの発着場。

Nyakatoは町から北へ約6kmの所にある。
ムソマやナイロビ方面のバスの発着場。







サファリ~ムワンザ②

サファリ5日目


この日は朝からスクマ博物館へ出かけた。


ムワンザ地方に多く住むスクマ人の住居やスクマ人の資料などが展示してある。




































案内してくれたリチャードさん


午後からは町に帰って昼食を食べて町を少しぶらぶらした。

第二の都市なだけに活気に満ち溢れていた。


















そしてビスマルクロック(Bismark Rock)へ。

絶妙なバランスで湖上の岩の上に立っている岩がある。

ここでも写真撮りたかったらソーダ買ってこいとか言われた。

またもやふざけている。


















夕日が沈むビクトリア湖はきれいだった。















今度来たときはもっとゆっくりしたい。


サファリ~ムワンザ


サファリ3日目

朝7時のバスでムワンザに向けて出発。約10時間後ビクトリア湖が見えてきた。

ムワンザはタンザニアで3番目の都市で世界第二位の規模を持つ淡水湖ビクトリア湖の

南岸に位置している。ムワンザはこのビクトリア湖と小高い丘に囲まれている綺麗な町だった。

ムワンザ初日は、Malaika Beach Resortで同期隊員2人と食事。

ムワンザに到着したのが遅かった為夕日は拝めなかったが、夕日の沈むころにこのホテルに


来たら綺麗だろう!!いつかこのホテルで一日ゆっくりしてみたい。

サファリ4日目

翌朝はローカルのレストランでサマキ(魚)スープを食べた。
















ムワンザではビクトリア湖で取れた新鮮な魚を食べることができるのがうれしい。

私の任地イリンガでも魚は売っているが新鮮かは疑問。

この日は少しゆっくりして晩御飯の食材を買いに夕方からサマキ(魚)市場へ。
















写真の奥に見える赤い建物が市場。日本からのODAで建てられたらしい。























そしてムワンザに入ってから気になっていたこいつ。アフリカハゲコウ!!

なんともかわいらしくない顔をしいます。めちゃくちゃでかい!!

サマキ市場に沢山群がっていました。ゴミ収集場にも。
















晩御飯のおかずはテラピィア。スワヒリ語でSATOです。

同期隊員がさばいてくれておいしく頂きました。


ビクトリア湖はナイル川の主流の一つ、白ナイル川の源流となっている。世界第3位の湖水面積を誇り、湖の中にはウガンダ領のセセ諸島 (Ssese Islands) やタンザニアのウケレウェ島をはじめとする約3000の島々がある


サファリ~トラブル編

ドドマの町を歩いている時に警察官らしき2人組にパスポートを見せろと声をかけられた。

その時隊員の一人が持っていなくて解放してくれなかった。

しょうがなくJICA事務所に連絡を入れ、警察官に説明をしてもらったのだが・・・

その時警察官が片言の英語で言った一言

「I want money for lunch」

まじふざけてる。でもタンザニアではたまにある事。

警察官のIDを提示させるのを忘れていたため、結局本物の警察官かはわからなかった。

タンザニアなど途上国では警察官を装ったこういう犯罪もあるので、

旅行者は気を付けてくださいね~!!



サファリ~ドドマ②



バスで約8時間、ドドマに到着しました。

ドドマはタンザニアのほぼ中央部に位置し、タンザニア革命党(CCM)の本部がある

人口20万人ほどの都市。法律上の首都だけど、政府機関などはダルエスサラームにある。

さすが首都なだけあって町がきれいだし、道路もきれいだった。

初日は食事を専門家の方に御馳走していただき先輩隊員宅で早々と就寝し、

2日目にドドマ観光&隊員の配属先訪問を行ないました。
















運よくドドマ駅から列車が出発する所を見ることが出来ました。
















初代大統領ニエレレの銅像があるニエレレスクエアにて。

















先輩隊員の配属先を2か所ほど訪問させていただいた後、これまたJOCVが入っている

ドドマ大学へ!!想像していたよりきれいで、大きかった為びっくりした。

ここからの景色もきれいでした。
















そしてドドマの観光名所、ライオンロックへ!!
















山を登っている途中にあったこの真ん中の岩。よく見るとライオンに見えることから

ライオンロックとなずけられたとか。
















ライオンロックからはドドマの町が見渡すことが出来て綺麗だった。

ドドマに行かれた際は行かれてみてはどうでしょうか!!

その後は中国人が経営している中華料理のお店へ!!

料理もおいしく大満足な一日でした。


2011年10月2日日曜日

サファリ~ドドマ

テスト休みで学校が1週間休みなので、サファリ(=旅)に出かけることにした。

先輩隊員とともにドドマへ!!

ムベヤから出発したバスに乗るために、町から少し離れたイポゴロバススタンドへ!!

バス会社のお偉いさんが乗れるって言っていたのに、なぜか満席で乗せてもらえず・・・・

その後なぜかタクシーでバスを追いかける展開に。

そして途中でタクシー代を誰が払うかで揉め、結局イリンガの町に帰ってきちゃいました。

結局悪いのはバス会社ってことで、バス会社の人がタクシー代払うことで落ち着いた。

明日は100%乗れるからってことで、明日出発することになりました。


おかげでKOICAのチャンさんの美味しい手料理を食べることが出来た。






2011年9月29日木曜日

結婚式

昨夜同僚Mr, ショーンデの結婚パーティーがあった。

他の同僚が「5時から始まるから、5時に迎えに行くよ!!」

なんかおかしいなと思いつつ、待ってたけど結局来てくれたのは6時だった。

かなり遅れたけど案の定パーティーは始まっておらず、始まったのは結局7時だった。

ゆっくり行ってちょうどよかった・・・・

会場にはタンザニア名物の大音量の音楽。音割れてますけど~

そして音楽に負けないくらい大音量のMC。正直これだけで疲れた!!

パーティーの方は新郎新婦の入場から始まり、結婚指輪の交換的な行事なのか

シャンパンをお互いに飲ませあっていた。

その後はダンスや祝辞やらが続いて、10時くらいになってようやく食事が出てきた。

さすが結婚パーティー!!料理が豪華だった。といってもいつものタンザニア料理だけど!!

なんだかんだで楽しい夜を過ごすことが出来ました。



今日ほとんどの先生が学校に来なかったのは言うまでもない・・・・・






2011年9月28日水曜日

生徒のレベル

来週から1週間休み。どこに行こう~。

実はこの休みの前に中間テストがあるはずだった。

なぜかタンザニアでは、テストの後に休みがある。

どうせなら休み後にテストした方がいいんじゃない??そうした方が勉強できるし。

と思ったから校長に提案してみた。したらすんなり日程が変わった。

まぁ休みが有っても生徒たちが勉強するか疑問だけど。


てことでテストに向けて授業の復習をすることにした。

実はそんな予定はなかったけどある生徒が、「先生!!連立方程式がわかりません!!」

と言ってきたことから始まる。実はその生徒、連立方程式は愚か簡単な一次方程式すら

分かっていなかった。

そこで今日の授業で、簡単な方程式から連立方程式まで復習を行った。

黒板に簡単な問題をいくつか書いて解かせたのだが・・・・・・・

まず生徒たちがイコール(=)の意味を理解していなかった。

そして文字(xとかy)を使う意味も理解していなかった。

なぜか途中で符号(+、-)が変わってるし。

簡単な引き算まで・・・・・


これは教えがいがあるなと思った一日でした。




2011年9月25日日曜日

援助について

協力隊の説明会等でよく元隊員だった方から聞いた言葉。

「教えるために行ったけど、学んだのは自分だった。」

「色々なことを学んだ。」

ネガティブな発言ばかりで申し訳ないが、彼らから学ぶことは本当にあるのかと疑問。

いつも陽気なところ、お年寄りを大切にするところなど、いいところはある。

でも仕事に関しては・・・・・・、


以前体罰についてこのブログで触れたことがある。

まだこういう事を話すのは早いかと思ったが、校長先生に自分の考えを伝えてみた。

多くの先生は時間通りに学校に来ないのに、生徒が遅刻すると体罰をするのはおかしいので

はないか。子供は大人を見て育つから、我々が模範にならなければいけないのではないか。

私が言った事は解ってくれたようだけど、「私の家は学校から遠いから仕方ない。ダラダラ(乗

合バス)もなかなか来ないし。」 結局言い訳か。

タンザニア人は本当にこの国を変えたいと思っているのか、ただただ援助に甘えているだけで

はないか。


 わずか数年前の1990年7月、日本はついに開発途上国を“卒業”した、と言ったら驚く人が多いに違いない。
第二次世界大戦後、日本はアメリカからの資金援助「ガリオア・エロア資金」から、総額18億ドル(うち13億ドルは無償援助)、現在の価値に換算すれば、約12兆円となる膨大な援助を受けていた。この援助がなければ日本の復興は考えられなかった。また戦後間もない1953年から導入された世界銀行からの低金利融資は計8億6,000万ドル(現在の価値に換算すると約6兆円)に達し、インドに次ぎ2番目の大きな金額であった。これらを返済し終えたのが1990年7月である(無償は除く)。日本も数年前までは開発途上国であったのだ。
 このように日本も援助を受けて、発展してきた。しかし日本はただただ援助に甘えていた訳ではないと信じている。自分たちの手で変えたのだと信じている。
 タンザニア人が自分たちの手でこの国を変えようという気がなければ、一生変わらないのではないか。

2011年9月24日土曜日

卒業式

この間の木曜日にForm Ⅳの学生の卒業式が行われた。

前々から歌の練習やらダンスの練習やらやってたから、どんな卒業式だろうと

少し楽しみだった。
















胃が痛くてちょっと学校を休んでいる間に、こんなテントが出来ていた。

イルラは風が強いから、大風が吹いたら吹っ飛んでしまうのではと少し心配。
















親御さんたちも駆け付けていた。
















卒業生が入場する時、ダンスしながらの入場にはいきなりびっくりした。

この後、卒業生や在校生からの劇や、ダンス、歌などの出し物が

4時間近く続いた。そして爆音の音楽。正直ただただ疲れた。

当然全部スワヒリ語だから意味が解らない。来年の卒業式ではわかるようになりたい。

一部劇(というかコントかな)の中で、外国人の自分からすると笑えない内容のものもあった。

詳細は控えるが、そういう点でタンザニア人はマナーが非常に悪い。

そういえば、卒業生が被っている帽子。ダンボールでの手作りだった。


翌日、教師のミーティングが開かれた。

恐らく議題は卒業式について。

当然すべてスワヒリ語。意味わからない。

1時間くらいで終わるだろうと思っていた自分が甘かった。

なんと一つの議題で、なんと5時間!!


非常に非効率的。心の中で早く終われーと思いつつ何とか耐えた。

2011年9月21日水曜日

すこし緊張した

先週の事だが、ボランティア調整員の方が出張でイリンガ方面に来られ、

その際私の配属先に寄って下さった。

そして私の最初の授業を少しだけだが見て頂いた。

最初の授業というだけでも緊張するのに、よけいに緊張してしまった。


















授業風景


最後に記念撮影





2011年9月18日日曜日

ラッキー

KOICAのチャンさんから韓国のりを頂いた。

KOICAでは韓国のりの配給があるらしい。うらやまし~

















おいしく頂きました。ありがとうチャンさん!!!!
















今日村で買い物していたら、自分が数学を教えている生徒が店番を

していた。みかんを2つ買ったら、1個おまけしてくれた。ありがと~


2011年9月15日木曜日

タンザニアでの食

そういえば、タンザニアのローカルフードについて触れていなかった気がする。

日本では四季によって料理も変化するし、ご当地料理なんてのも存在する。

しかしタンザニアでは、そんなものは存在しない。

レストランによって味は異なるけど、どこに行っても同じ料理しかない。

美味しいんだけどね。ただ同じものしかないから飽きる。


これは「ピラウ」。炊き込みご飯みたいな感じ。

タンザニア料理の中では一番好き。

ダルにいた頃は毎日食べていた。 


 
「ワリ サマキ」

 ワリ=ご飯 サマキ=魚

 ご飯と揚げたお魚。



タンザニアの料理はこんな感じで、主食はご飯、調理用バナナ、あとウガリ。

ウガリはトウモロコシの粉をお湯で練ったもの。

最初意外とイケる!!と思ったけど、速攻飽きた。

もういいや。お米とウガリが選べるのなら、ウガリは食べないと思う。

おいおいそのほかのメニューも紹介したいと思います。


すでに日本食が恋しくなっています。イクラが食べたいー


















島根県松江市で食べた鮭イクラ丼。なつかしい




いつものことだけど

うちの学校では教師は朝7時半までに学校に行くことになっている。

僕はだいたい7時20分には学校に到着しているのだけれど、

その時間にほかの先生は殆ど来ていない。今日は自分と教育実習生しかいなかった。

まぁいつものことだけど。

7時40分から1時間目が始まるけど、当然時間通りに授業は始まらない。

8時くらいになって、やっと次の先生が来た。

しかもタイムカードには当然のように7時30分って書いている。

もう8時だけどって言ったら「これはタンザニアのトラディショナルだから問題ない。」とのこと。

「だったら意味ないから書くなよ!!」と突っ込みたくなる。

生徒が遅刻したら体罰するのに”お前らは遅刻していいのか”っていつも思う。

しかも自分の授業が終わると、当然のように御帰宅。

だいたい仕事をしている姿を見たことがない。


タンザニアでは教師の給料は決して高くない。

だから気持ちはわからないことない。だからって遅刻とかが許される訳ではないけど。

今後少しでも改善してくれたらな。



参考まで教師の初任給

小学校教師 (Grade A取得者)      : 133,590Tsh (日本円で約8,000円)
中等学校 O-Level (Diploma取得者)  : 165,600Tsh (約10,000円)
A-Level (Degree取得者)  : 259,120Tsh (約16,000円)

Grade A・・・小学校教員資格。O-Level終了後教員養成校で初等教員課程を履修。
Diploma・・・O-Level教員資格。A-Level終了後、教員養成校課程を履修。
Degree・・・A-Level教員資格。大学学士課程修了。






2011年9月14日水曜日

教室

学校の黒板。コンクリートにペンキを塗っただけの物。

たまに穴が開いているし、すごく書きずらい。

まぁあるだけましかな。


















ちなみにこれは他の先生の板書


僕が教えているForm Ⅰの生徒は全員で140人くらい。

普段はAクラスとBクラスに分かれている。
























カメラを出すとみんなすごい勢いで「写真を撮って」っ言って来たから何枚か撮ってあげた。









































授業スタート

今週からやっと授業を始めた。

今受け持っている授業はForm Ⅰの数学。日本の中学1年生くらいのレベル。

そして今やっている範囲はGeometry。最初の授業は分度器とかコンパスの使い方とか。

町の本屋さんで教授用の分度器とか売っていたけど、普通の教諭は買えない。

というか正確には買わないんだと思う。

給料低いしそこまで情熱を持っている先生はいない気がする。

だから身の回りにある物で代用したり、作ったりする。こんなんで出来るよみたいな。

とりあえず厚紙をつかって作った。まぁなんとか使えた。

今後改良していくつもりです。


















これはコンパスの代用品。シャーペンの消しゴムの部分を軸として使っている。
















他の先生は白のチョークしか使わないけど、赤とかのチョークも買ってみた。
















新品なのに割れていた。ひと箱12本入って500Tshだった。

2011年9月10日土曜日

最近の食生活

タンザニアではお肉は量り売りで売ってくれます。

その場で肉の塊から切り取って売ってくれるらしい。でもまだ買ったことない。

ただ100g単位で買えなくて、最低500gから!!

多くの隊員も同じだと思うけど、冷蔵庫を持っていないので肉を買うことが出来ない。
(保存が出来ないため)

当然食生活もバランスが崩れちゃう。炭水化物と野菜中心。

タンパク質が完全に足りていない。

だからまた最近ローカルな食堂に行くようになった。

そこでちゃんとタンパク質を補給してます。


イルラはトマトの生産が盛んということで、今晩はトマトを使ったパスタ。

当然肉類は入ってません。
















冷蔵庫が欲しい。

2011年9月8日木曜日

沈まぬ太陽

KOICA(韓国のボランティア)のリーさんに誘われてつい行ってしまった。

こんな悪路をイリンガから2時間


















念願のルアハ国立公園!!!

セレンゲティ国立公園などと比べてメジャーな国立公園ではないものの、

その広さ約1万2950Km2とセレンゲティに次いで2番目の広さ。

東京圏(東京、神奈川、埼玉、千葉)が約1万3404Km2だからその広さが想像できる。

ルアハは大ルアハ川に広がる国立公園でワニ、カバ、水鳥が多いらしい。


 












日本でも動物園で見たことあるけど、やっぱり迫力が違う。















子連れの像は、こっちを相当警戒していて怖かった。

泊まっていたロッジも象に囲まれていたらしい。寝ていたから知らないけど。

マサイキリン
















シマウマ






















たぶんレッサークドゥ























そして一番見たかったライオン。でもオスは見れなかった。


















ほかにサバンナモンキー、ヒヒ、イボイノシシ、インパラ、ガゼルなどを見ることが出来た。

好きな動物が見れるか否かは運次第だけど動物園なんかで見るより迫力もあるし、

近くで見れるのがいい。野生動物の営みを直に見ることができる。

改めて自然を守らなければと思った。

















次回行ったときは、チーターやヒョウも見たいなー。