Iringa

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イルラ

2011年9月25日日曜日

援助について

協力隊の説明会等でよく元隊員だった方から聞いた言葉。

「教えるために行ったけど、学んだのは自分だった。」

「色々なことを学んだ。」

ネガティブな発言ばかりで申し訳ないが、彼らから学ぶことは本当にあるのかと疑問。

いつも陽気なところ、お年寄りを大切にするところなど、いいところはある。

でも仕事に関しては・・・・・・、


以前体罰についてこのブログで触れたことがある。

まだこういう事を話すのは早いかと思ったが、校長先生に自分の考えを伝えてみた。

多くの先生は時間通りに学校に来ないのに、生徒が遅刻すると体罰をするのはおかしいので

はないか。子供は大人を見て育つから、我々が模範にならなければいけないのではないか。

私が言った事は解ってくれたようだけど、「私の家は学校から遠いから仕方ない。ダラダラ(乗

合バス)もなかなか来ないし。」 結局言い訳か。

タンザニア人は本当にこの国を変えたいと思っているのか、ただただ援助に甘えているだけで

はないか。


 わずか数年前の1990年7月、日本はついに開発途上国を“卒業”した、と言ったら驚く人が多いに違いない。
第二次世界大戦後、日本はアメリカからの資金援助「ガリオア・エロア資金」から、総額18億ドル(うち13億ドルは無償援助)、現在の価値に換算すれば、約12兆円となる膨大な援助を受けていた。この援助がなければ日本の復興は考えられなかった。また戦後間もない1953年から導入された世界銀行からの低金利融資は計8億6,000万ドル(現在の価値に換算すると約6兆円)に達し、インドに次ぎ2番目の大きな金額であった。これらを返済し終えたのが1990年7月である(無償は除く)。日本も数年前までは開発途上国であったのだ。
 このように日本も援助を受けて、発展してきた。しかし日本はただただ援助に甘えていた訳ではないと信じている。自分たちの手で変えたのだと信じている。
 タンザニア人が自分たちの手でこの国を変えようという気がなければ、一生変わらないのではないか。

2 件のコメント:

  1. 難しい問題よなぁ。
    ゆっくりしている事も、僕らから見れば無責任な事も、それが文化で、
    そこで暮らす人々が「自分は幸せだ」「満たされている」って思えばそれは援助なんて必要ないしなぁ。価値観が違うだけ。
    変わる必要があるんか疑問になってしまう。
    やけど、体罰や教師の特権意識は絶対に変えなあかんよな。
    それによって痛い思いしてる子供がいるなら絶対変わらなあかんもん。

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  2. 本当に難しいですね。
    結局この国をどうするかってのはタンザニア人次第ですからね。
    それをサポートする事しか出来ない。

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